一 - 1
這入っておったのだ。ここで吾輩は彼(か)の書生以外の人間を再び見るべき機会に遭遇(そうぐう)したのである。第一に逢ったのがおさんである。これは前の書生より一層乱暴な方で吾輩を見るや否やいきなり頸筋(くびすじ)をつかんで表へ抛(ほう)り出した。いやこれは駄目だと思ったから眼をねぶって運を天に任せていた。しかしひもじいのと寒いのにはどうしても我慢が出来ん。吾輩は再びおさんの隙(すき)を見て台所へ這(は)い上(あが)った。すると間もなくまた投げ出された。吾輩は投げ出されては這い上り、這い上っては投げ出され、何でも同じ事を四五遍繰り返したのを記憶している。その時におさんと云う者はつくづくいやになった。この間おさんの三馬(さんま)を偸(ぬす)んでこの返報をしてやってから、やっと胸の痞(つかえ)が下りた。吾輩が最後につまみ出されようとしたときに、この家(うち)の主人が騒々しい何だといいながら出て来た。下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けてこの宿(やど)なしの小猫がいくら出しても出しても御台所(おだいどころ)へ上(あが)って来て困りますという。主人は鼻の下の黒い毛を撚(ひね)りながら吾輩の顔をしばらく眺(なが)めておったが、やがてそんなら内へ置いてやれといったまま奥へ這入(はい)ってしまった。主人はあまり口を聞かぬ人と見えた。下女は口惜(くや)しそうに吾輩を台所へ抛(ほう)り出した。かくして吾輩はついにこの家(うち)を自分の住家(すみか)と極(き)める事にしたのである。