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り、御三の険突(けんつく)を食って気分が勝(すぐ)れん時は必ずこの異性の朋友(ほうゆう)の許(もと)を訪問していろいろな話をする。すると、いつの間(ま)にか心が晴々(せいせい)して今までの心配も苦労も何もかも忘れて、生れ変ったような心持になる。女性の影響というものは実に莫大(ばくだい)なものだ。杉垣の隙から、いるかなと思って見渡すと、三毛子は正月だから首輪の新しいのをして行儀よく椽側(えんがわ)に坐っている。その背中の丸さ加減が言うに言われんほど美しい。曲線の美を尽している。尻尾(しっぽ)の曲がり加減、足の折り具合、物憂(ものう)げに耳をちょいちょい振る景色(けしき)なども到底(とうてい)形容が出来ん。ことによく日の当る所に暖かそうに、品(ひん)よく控(ひか)えているものだから、身体は静粛端正の態度を有するにも関らず、天鵞毛(びろうど)を欺(あざむ)くほどの滑(なめ)らかな満身の毛は春の光りを反射して風なきにむらむらと微動するごとくに思われる。吾輩はしばらく恍惚(こうこつ)として眺(なが)めていたが、やがて我に帰ると同時に、低い声で「三毛子さん三毛子さん」といいながら前足で招いた。三毛子は「あら先生」と椽を下りる。赤い首輪につけた鈴がちゃらちゃらと鳴る。おや正月になったら鈴までつけたな、どうもいい音(ね)だと感心している間(ま)に、吾輩の傍(そば)に来て「あら先生、おめでとう」と尾を左(ひだ)りへ振る。吾等猫属(ねこぞく)間で御互に挨拶をするときには尾を棒のごとく立てて、それを左りへぐるりと廻すのである。町内で吾輩を先生と呼んでくれるのはこの三毛子ばかりである。吾輩は前回断わった通りまだ名はないのであるが、教師の家(うち)にいるものだから三毛子だけは尊敬して先生先生といってくれる。吾輩も先生と云われて満更(まんざら)悪い心持ちもしないから、はいはいと返事をしている。「やあおめでとう、大層立派に御化粧が出来ましたね」「ええ去年の暮御師匠(おししょう)さんに買って頂いたの、宜(い)いでしょう」とちゃらちゃら鳴らして見せる。「なるほど善い音(ね)ですな、吾輩などは生れてから、そんな立派なものは見た事がないですよ」「あらいやだ、みんなぶら下げるのよ」とまたちゃらちゃら鳴らす。「いい音(ね)でしょう、あたし嬉しいわ」とちゃらちゃらちゃらちゃら続け様に鳴らす。「あなたのうちの御師匠さんは大変あなたを可愛がっていると見えますね」と吾身に引きくらべて暗(あん)に欣羨(きんせん)の意を洩(も)らす。三毛子は無邪気なものである「ほんとよ、まるで自分の小供のようよ」とあどけなく笑う。猫だって笑わないとは限らない。人間は自分よりほかに笑えるものが無いように思っているのは間違いである。吾輩が笑うのは鼻の孔(あな)を三角にして咽喉仏(のどぼとけ)を震動させて笑うのだから人間にはわからぬはずである。「一体あなたの所(とこ)の御主人は何ですか」「あら御主人だって、妙なのね。御師匠(おししょう)さんだわ。二絃琴(にげんきん)の御師匠さんよ」「それは吾輩も知っていますがね。その御身分は何なんです。いずれ昔(むか)しは立派な方なんでしょうな」「ええ」