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二 - 7
うっても食えやしないから、まあトチメンボーくらいなところで負けとく事にしようじゃないか君と御相談なさるものですから、私はつい何の気なしに、それがいいでしょう、といってしまったので」「へー、とちめんぼうは妙ですな」「ええ全く妙なのですが、先生があまり真面目だものですから、つい気がつきませんでした」とあたかも主人に向って麁忽(そこつ)を詫(わ)びているように見える。「それからどうしました」と主人は無頓着に聞く。客の謝罪には一向同情を表しておらん。「それからボイにおいトチメンボーを二人前(ににんまえ)持って来いというと、ボイがメンチボーですかと聞き直しましたが、先生はますます真面目(まじめ)な貌(かお)でメンチボーじゃないトチメンボーだと訂正されました」「なある。そのトチメンボーという料理は一体あるんですか」「さあ私も少しおかしいとは思いましたがいかにも先生が沈着であるし、その上あの通りの西洋通でいらっしゃるし、ことにその時は洋行なすったものと信じ切っていたものですから、私も口を添えてトチメンボーだトチメンボーだとボイに教えてやりました」「ボイはどうしました」「ボイがね、今考えると実に滑稽(こっけい)なんですがね、しばらく思案していましてね、はなはだ御気の毒様ですが今日はトチメンボーは御生憎様(おあいにくさま)でメンチボーなら御二人前(おふたりまえ)すぐに出来ますと云うと、先生は非常に残念な様子で、それじゃせっかくここまで来た甲斐(かい)がない。どうかトチメンボーを都合(つごう)して食わせてもらう訳(わけ)には行くまいかと、ボイに二十銭銀貨をやられると、ボイはそれではともかくも料理番と相談して参りましょうと奥へ行きましたよ」「大変トチメンボーが食いたかったと見えますね」「しばらくしてボイが出て来て真(まこと)に御生憎で、御誂(おあつらえ)ならこしらえますが少々時間がかかります、と云うと迷亭先生は落ちついたもので、どうせ我々は正月でひまなんだから、少し待って食って行こうじゃないかと云いながらポッケットから葉巻を出してぷかりぷかり吹かし始められたので、私(わたく)しも仕方がないから、懐(ふところ)から日本新聞を出して読み出しました、するとボイはまた奥へ相談に行きましたよ」「いやに手数(てすう)が掛りますな」と主人は戦争の通信を読むくらいの意気込で席を前(すす)める。「するとボイがまた出て来て、近頃はトチメンボーの材料が払底で亀屋へ行っても横浜の十五番へ行っても買われませんから当分の間は御生憎様でと気の毒そうに云うと、先生はそりゃ困ったな、せっかく来たのになあと私の方を御覧になってしきりに繰り返さるるので、私も黙っている訳にも参りませんから、どうも遺憾(いかん)ですな、遺憾極(きわま)るですなと調子を合せたのです」「ごもっともで」と主人が賛成する。何がごもっともだか吾輩にはわからん。「するとボイも気の毒だと見えて、その内材料が参りましたら、どうか願いますってんでしょう。先生が材料は何を使うかねと問われるとボイはへへへへと笑って返事をしないんです。材料は日本派の俳人だろうと先生が押し返して聞くとボイはへえさようで、それだものだから近頃は横浜へ行っても買われませんので、まことにお気の毒様と云いましたよ」「アハハハそれが落ちなんですか、こりゃ面白い」と主人はいつになく大きな声で笑う。膝(ひざ)が揺れて吾輩は落ちかかる。主人はそれにも頓着(とんじゃく)なく笑う。アンドレア·デル·サルトに罹(かか)ったのは自分一人でないと云う事を知ったので急に愉快になったものと見える
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