二 - 16
や)へ参りましたらちょうど出来上ったところだと申しまして」「どれお見せなさい。ああ奇麗に出来た、これで三毛も浮かばれましょう。金(きん)は剥(は)げる事はあるまいね」「ええ念を押しましたら上等を使ったからこれなら人間の位牌(いはい)よりも持つと申しておりました。……それから猫誉信女(みょうよしんにょ)の誉の字は崩(くず)した方が恰好(かっこう)がいいから少し劃(かく)を易(か)えたと申しました」「どれどれ早速御仏壇へ上げて御線香でもあげましょう」
三毛子は、どうかしたのかな、何だか様子が変だと蒲団の上へ立ち上る。チーン南無猫誉信女(なむみょうよしんにょ)、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)南無阿弥陀仏と御師匠さんの声がする。
「御前も回向(えこう)をしておやりなさい」
チーン南無猫誉信女南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と今度は下女の声がする。吾輩は急に動悸(どうき)がして来た。座蒲団の上に立ったまま、木彫(きぼり)の猫のように眼も動かさない。
「ほんとに残念な事を致しましたね。始めはちょいと風邪(かぜ)を引いたんでございましょうがねえ」「甘木さんが薬でも下さると、よかったかも知れないよ」「一体あの甘木さんが悪うございますよ、あんまり三毛を馬鹿にし過ぎまさあね」「そう人様(ひとさま)の事を悪く云うものではない。これも寿命(じゅみょう)だから」
三毛子も甘木先生に診察して貰ったものと見える。
「つまるところ表通りの教師のうちの野良猫(のらねこ)が無暗(むやみ)に誘い出したからだと、わたしは思うよ」「ええあの畜生(ちきしょう)が三毛のかたきでございますよ」
少し弁解したかったが、ここが我慢のしどころと唾(つば)を呑んで聞いている。話しはしばし途切(とぎ)れる。
「世の中は自由にならん者でのう。三毛のような器量よしは早死(はやじに)をするし。不器量な野良猫は達者でいたずらをしているし……」「その通りでございますよ。三毛のような可愛らしい猫は鐘と太鼓で探してあるいたって、二人(ふたり)とはおりませんからね」
二匹と云う代りに二(ふ)たりといった。下女の考えでは猫と人間とは同種族ものと思っているらしい。そう云えばこの下女の顔は吾等猫属(ねこぞく)とはなはだ類似している。
「出来るものなら三毛の代りに……」「あの教師の所の野良(のら)が死ぬと御誂(おあつら)え通りに参ったんでございますがねえ」
御誂え通りになっては、ちと困る。死ぬと云う事はどんなものか、まだ経験した事がないから好きとも嫌いとも云えないが、先日あまり寒いので火消壺(ひけしつぼ)の中へもぐり込んでいたら、下女が吾輩がいるのも知らんで上から蓋(ふた)をした事があった。その時の苦しさは考えても恐しくなるほどであった。白君の説明によるとあの苦しみが今少し続くと死ぬのであるそうだ。三毛子の身代(みがわ)りになるのなら苦情もないが、あの苦しみを受けなくては死ぬ事が出来ないのなら、誰のためでも死にたくはない。