三 - 3
ね――差支(さしつか)えなんぞある男じゃない、聞くがいいさ」と迷亭は独(ひと)りで呑み込んでいる。「物理学の演説なんか僕にゃ分らん」と主人は少々迷亭の専断(せんだん)を憤(いきどお)ったもののごとくに云う。「ところがその問題がマグネ付けられたノッズルについてなどと云う乾燥無味なものじゃないんだ。首縊りの力学と云う脱俗超凡(だつぞくちょうぼん)な演題なのだから傾聴する価値があるさ」「君は首を縊(くく)り損(そ)くなった男だから傾聴するが好いが僕なんざあ……」「歌舞伎座で悪寒(おかん)がするくらいの人間だから聞かれないと云う結論は出そうもないぜ」と例のごとく軽口を叩く。妻君はホホと笑って主人を顧(かえり)みながら次の間へ退く。主人は無言のまま吾輩の頭を撫(な)でる。この時のみは非常に丁寧な撫で方であった。