九 - 10
ぶつ)とか云って騒ぎ立てる連中ほどあやしいのはないぜ」
「そうかな」と苦沙弥先生少々腰が弱くなる。
「この間来た時禅宗坊主の寝言(ねごと)見たような事を何か云ってったろう」
「うん電光影裏(でんこうえいり)に春風(しゅんぷう)をきるとか云う句を教えて行ったよ」
「その電光さ。あれが十年前からの御箱(おはこ)なんだからおかしいよ。無覚禅師(むかくぜんじ)の電光ときたら寄宿舎中誰も知らないものはないくらいだった。それに先生時々せき込むと間違えて電光影裏を逆(さか)さまに春風影裏に電光をきると云うから面白い。今度ためして見たまえ。向(むこう)で落ちつき払って述べたてているところを、こっちでいろいろ反対するんだね。するとすぐ顛倒(てんとう)して妙な事を云うよ」
「君のようないたずらものに逢っちゃ叶(かな)わない」
「どっちがいたずら者だか分りゃしない。僕は禅坊主だの、悟ったのは大嫌だ。僕の近所に南蔵院(なんぞういん)と云う寺があるが、あすこに八十ばかりの隠居がいる。それでこの間の白雨(ゆうだち)の時寺内(じない)へ雷(らい)が落ちて隠居のいる庭先の松の木を割(さ)いてしまった。ところが和尚(おしょう)泰然として平気だと云うから、よく聞き合わせて見るとから聾(つんぼ)なんだね。それじゃ泰然たる訳さ。大概そんなものさ。独仙も一人で悟っていればいいのだが、ややともすると人を誘い出すから悪い。現に独仙の御蔭で二人ばかり気狂(きちがい)にされているからな」
「誰が」
「誰がって。一人は理野陶然(りのとうぜん)さ。独仙の御蔭で大(おおい)に禅学に凝(こ)り固まって鎌倉へ出掛けて行って、とうとう出先で気狂になってしまった。円覚寺(えんがくじ)の前に汽車の踏切りがあるだろう、あの踏切り内(うち)へ飛び込んでレールの上で座禅をするんだね。それで向うから来る汽車をとめて見せると云う大気焔(だいきえん)さ。もっとも汽車の方で留ってくれたから一命だけはとりとめたが、その代り今度は火に入(い)って焼けず、水に入って溺(おぼ)れぬ金剛不壊(こんごうふえ)のからだだと号して寺内(じない)の蓮池(はすいけ)へ這入(はい)ってぶくぶくあるき廻ったもんだ」
「死んだかい」