十 - 1
者で、心の願と実際が、合うか合わぬか是非とも試験して見たくなる。試験して見れば必ず失望するにきまってる事ですら、最後の失望を自(みずか)ら事実の上に受取るまでは承知出来んものである。吾輩はたまらなくなって台所へ這出(はいだ)した。まずへっついの影にある鮑貝(あわびがい)の中を覗(のぞ)いて見ると案に違(たが)わず、夕(ゆう)べ舐(な)め尽したまま、闃然(げきぜん)として、怪しき光が引窓を洩(も)る初秋(はつあき)の日影にかがやいている。御三(おさん)はすでに炊(た)き立(たて)の飯を、御櫃(おはち)に移して、今や七輪(しちりん)にかけた鍋(なべ)の中をかきまぜつつある。釜(かま)の周囲には沸(わ)き上がって流れだした米の汁が、かさかさに幾条(いくすじ)となくこびりついて、あるものは吉野紙を貼(は)りつけたごとくに見える。もう飯も汁も出来ているのだから食わせてもよさそうなものだと思った。こんな時に遠慮するのはつまらない話だ、よしんば自分の望通りにならなくったって元々で損は行かないのだから、思い切って朝飯の催促をしてやろう、いくら居候(いそうろう)の身分だってひもじいに変りはない。と考え定めた吾輩はにゃあにゃあと甘えるごとく、訴うるがごとく、あるいはまた怨(えん)ずるがごとく泣いて見た。御三はいっこう顧みる景色(けしき)がない。生れついてのお多角(たかく)だから人情に疎(うと)いのはとうから承知の上だが、そこをうまく泣き立てて同情を起させるのが、こっちの手際(てぎわ)である。今度はにゃごにゃごとやって見た。その泣き声は吾ながら悲壮の音(おん)を帯びて天涯(てんがい)の遊子(ゆうし)をして断腸の思あらしむるに足ると信ずる。御三は恬(てん)として顧(かえり)みない。この女は聾(つんぼ)なのかも知れない。聾では下女が勤まる訳(わけ)がないが、ことによると猫の声だけには聾なのだろう。世の中には色盲(しきもう)というのがあって、当人は完全な視力を具えているつもりでも、医者から云わせると片輪(かたわ)だそうだが、この御三は声盲(せいもう)なのだろう。声盲だって片輪に違いない。片輪のくせにいやに横風(おうふう)なものだ。夜中なぞでも、いくらこっちが用があるから開けてくれろと云っても決して開けてくれた事がない。たまに出してくれたと思うと今度はどうしても入れてくれない。夏だって夜露は毒だ。いわんや霜(しも)においてをやで、軒下に立ち明かして、日の出を待つのは、どんなに辛(つら)いかとうてい想像が出来るものではない。この間しめ出しを食った時なぞは野良犬の襲撃を蒙(こうむ)って、すでに危うく見えたところを、ようやくの事で物置の家根(やね)へかけ上(あが)って、終夜顫(ふる)えつづけた事さえある。これ等は皆御三の不人情から胚胎(はいたい)した不都合である。こんなものを相手にして鳴いて見せたって、感応(かんのう)のあるはずはないのだが、そこが、ひもじい時の神頼み、貧のぬすみに恋のふみと云うくらいだから、たいていの事ならやる気になる。にゃごおうにゃごおうと三度目には、注意を喚起するためにことさらに複雑なる泣き方をして見た。自分ではベトヴェンのシンフォニーにも劣らざる美妙の音(おん)と確信しているのだが御三には何等の影響も生じないようだ。御三は突然膝をついて、揚げ板を一枚はね除(の)けて、中から堅炭の四寸ばかり長いのを一本つかみ出した。それからその長い奴を七輪(しちりん)の角でぽんぽんと敲(たた)いたら、長いのが三つほどに砕けて近所は炭の粉で真黒くなった。少々は汁の中へも這入(は