十 - 3
てはすまないとでも心得たものか、一本一本に癇癪(かんしゃく)を起して、勝手次第の方角へ猛烈なる勢をもって突進している。これとてもなかなかの見物(みもの)である。昨日(きのう)は鏡の手前もある事だから、おとなしく独乙(ドイツ)皇帝陛下の真似をして整列したのであるが、一晩寝れば訓練も何もあった者ではない、直ちに本来の面目に帰って思い思いの出(い)で立(たち)に戻るのである。あたかも主人の一夜作りの精神修養が、あくる日になると拭(ぬぐ)うがごとく奇麗に消え去って、生れついての野猪的(やちょてき)本領が直ちに全面を暴露し来(きた)るのと一般である。こんな乱暴な髯をもっている、こんな乱暴な男が、よくまあ今まで免職にもならずに教師が勤まったものだと思うと、始めて日本の広い事がわかる。広ければこそ金田君や金田君の犬が人間として通用しているのでもあろう。彼等が人間として通用する間は主人も免職になる理由がないと確信しているらしい。いざとなれば巣鴨へ端書(はがき)を飛ばして天道公平君に聞き合せて見れば、すぐ分る事だ。