十 - 6
くては幅が利(き)かないと心得違いをして、本来なら赤面してしかるべきのを得々(とくとく)と履行(りこう)して未来の紳士だと思っている。これは働き手と云うのではない。ごろつき手と云うのである。吾輩も日本の猫だから多少の愛国心はある。こんな働き手を見るたびに撲(なぐ)ってやりたくなる。こんなものが一人でも殖(ふ)えれば国家はそれだけ衰える訳である。こんな生徒のいる学校は、学校の恥辱であって、こんな人民のいる国家は国家の恥辱である。恥辱であるにも関らず、ごろごろ世間にごろついているのは心得がたいと思う。日本の人間は猫ほどの気概もないと見える。情(なさけ)ない事だ。こんなごろつき手に比べると主人などは遥(はる)かに上等な人間と云わなくてはならん。意気地のないところが上等なのである。無能なところが上等なのである。猪口才(ちょこざい)でないところが上等なのである。
かくのごとく働きのない食い方をもって、無事に朝食(あさめし)を済ましたる主人は、やがて洋服を着て、車へ乗って、日本堤分署へ出頭に及んだ。格子(こうし)をあけた時、車夫に日本堤という所を知ってるかと聞いたら、車夫はへへへと笑った。あの遊廓のある吉原の近辺の日本堤だぜと念を押したのは少々滑稽(こっけい)であった。