十一 - 6
きゅうそう)として鳴るじゃないか」とむずかしい事を持ち出したのは独仙君であったが、誰も取り合わなかったのは気の毒である。
「私が毎日毎日店頭を散歩しているうちにとうとうこの霊異な音(ね)を三度ききました。三度目にどうあってもこれは買わなければならないと決心しました。仮令(たとい)国のものから譴責(けんせき)されても、他県のものから軽蔑(けいべつ)されても――よし鉄拳(てっけん)制裁のために絶息(ぜっそく)しても――まかり間違って退校の処分を受けても――、こればかりは買わずにいられないと思いました」
「それが天才だよ。天才でなければ、そんなに思い込める訳のものじゃない。羨(うらやま)しい。僕もどうかして、それほど猛烈な感じを起して見たいと年来心掛けているが、どうもいけないね。音楽会などへ行って出来るだけ熱心に聞いているが、どうもそれほどに感興が乗らない」と東風君はしきりに羨(うら)やましがっている。
「乗らない方が仕合せだよ。今でこそ平気で話すようなもののその時の苦しみはとうてい想像が出来るような種類のものではなかった。――それから先生とうとう奮発して買いました」
「ふむ、どうして」
「ちょうど十一月の天長節の前の晩でした。国のものは揃(そろ)って泊りがけに温泉に行きましたから、一人もいません。私は病気だと云って、その日は学校も休んで寝ていました。今晩こそ一つ出て行って兼(かね)て望みのヴァイオリンを手に入れようと、床の中でその事ばかり考えていました」