十一 - 11
、顔中真赤(まっか)にはれ上ってね。いやもう二目(ふため)とは見られないありさまさ……」
「黙っていろ。羅甸語(ラテンご)も読めない癖に」
「ハハハハ、それで藤(とう)さんが帰って来てビールの徳利をふって見ると、半分以上足りない。何でも誰か飲んだに相違ないと云うので見廻して見ると、大将隅の方に朱泥(しゅでい)を練りかためた人形のようにかたくなっていらあね……」
三人は思わず哄然(こうぜん)と笑い出した。主人も本をよみながら、くすくすと笑った。独(ひと)り独仙君に至っては機外(きがい)の機(き)を弄(ろう)し過ぎて、少々疲労したと見えて、碁盤の上へのしかかって、いつの間(ま)にやら、ぐうぐう寝ている。
「まだ音がしないもので露見した事がある。僕が昔し姥子(うばこ)の温泉に行って、一人のじじいと相宿になった事がある。何でも東京の呉服屋の隠居か何かだったがね。まあ相宿だから呉服屋だろうが、古着屋だろうが構う事はないが、ただ困った事が一つ出来てしまった。と云うのは僕は姥子(うばこ)へ着いてから三日目に煙草(たばこ)を切らしてしまったのさ。諸君も知ってるだろうが、あの姥子と云うのは山の中の一軒屋でただ温泉に這入(はい)って飯を食うよりほかにどうもこうも仕様のない不便の所さ。そこで煙草を切らしたのだから御難だね。物はないとなるとなお欲しくなるもので、煙草がないなと思うやいなや、いつもそんなでないのが急に呑みたくなり出してね。意地のわるい事に、そのじじいが風呂敷に一杯煙草を用意して登山しているのさ。それを少しずつ出しては、人の前で胡坐(あぐら)をかいて呑みたいだろうと云わないばかりに、すぱすぱふかすのだね。ただふかすだけなら勘弁のしようもあるが、しまいには煙を輪に吹いて見たり、竪(たて)に吹いたり、横に吹いたり、乃至(ないし)は邯鄲(かんたん)夢(ゆめ)の枕(まくら)と逆(ぎゃく)に吹いたり、または鼻から獅子の洞入(ほらい)り、洞返(ほらがえ)りに吹いたり。つまり呑みびらかすんだね……」