八 - 1
ところに盗難のあるはずはない。だから主人の家に、あらゆる塀(へい)、垣、乃至(ないし)は乱杭(らんぐい)、逆茂木(さかもぎ)の類は全く不要である。しかしながらこれは空地の向うに住居(すまい)する人間もしくは動物の種類如何(いかん)によって決せらるる問題であろうと思う。従ってこの問題を決するためには勢い向う側に陣取っている君子の性質を明かにせんければならん。人間だか動物だか分らない先に君子と称するのははなはだ早計のようではあるが大抵君子で間違はない。梁上(りょうじょう)の君子などと云って泥棒さえ君子と云う世の中である。但(ただ)しこの場合における君子は決して警察の厄介になるような君子ではない。警察の厄介にならない代りに、数でこなした者と見えて沢山いる。うじゃうじゃいる。落雲館(らくうんかん)と称する私立の中学校――八百の君子をいやが上に君子に養成するために毎月二円の月謝を徴集する学校である。名前が落雲館だから風流な君子ばかりかと思うと、それがそもそもの間違になる。その信用すべからざる事は群鶴館(ぐんかくかん)に鶴の下りざるごとく、臥竜窟に猫がいるようなものである。学士とか教師とか号するものに主人苦沙弥君のごとき気違のある事を知った以上は落雲館の君子が風流漢ばかりでないと云う事がわかる訳(わけ)だ。それがわからんと主張するならまず三日ばかり主人のうちへ宿(とま)りに来て見るがいい。
前(ぜん)申すごとく、ここへ引き越しの当時は、例の空地(あきち)に垣がないので、落雲館の君子は車屋の黒のごとく、のそのそと桐畠(きりばたけ)に這入(はい)り込んできて、話をする、弁当を食う、笹(ささ)の上に寝転(ねころ)ぶ――いろいろの事をやったものだ。それからは弁当の死骸即(すなわ)ち竹の皮、古新聞、あるいは古草履(ふるぞうり)、古下駄、ふると云う名のつくものを大概ここへ棄てたようだ。無頓着なる主人は存外平気に構えて、別段抗議も申し込まずに打ち過ぎたのは、知らなかったのか、知っても咎(とが)めんつもりであったのか分らない。ところが彼等諸君子は学校で教育を受くるに従って、だんだん君子らしくなったものと見えて、次第に北側から南側の方面へ向けて蚕食(さんしょく)を企だてて来た。蚕食と云う語が君子に不似合ならやめてもよろしい。但(ただ)しほかに言葉がないのである。彼等は水草(すいそう)を追うて居を変ずる沙漠(さばく)の住民のごとく、桐(きり)の木を去って檜(ひのき)の方に進んで来た。檜のある所は座敷の正面である。よほど大胆なる君子でなければこれほどの行動は取れんはずである。一両日の後(のち)彼等の大胆はさらに一層の大を加えて大々胆(だいだいたん)となった。教育の結果ほど恐しいものはない。彼等は単に座敷の正面に逼(せま)るのみならず、この正面において歌をうたいだした。何と云う歌か忘れてしまったが、決して三十一文字(みそひともじ)の類(たぐい)ではない、もっと活溌(かっぱつ)で、もっと俗耳(ぞくじ)に入り易(やす)い歌であった。驚ろいたのは主人ばかりではない、吾輩までも彼等君子の才芸に嘆服(たんぷく)して覚えず耳を傾けたくらいである。しかし読者もご案内であろうが、嘆服と云う事と邪魔と云う事は時として両立する場合がある。この両者がこの際図(はか)らずも合して一となったのは、今から考えて見ても返す返す残念である。主人も残念であったろうが、やむを得ず書斎から飛び出して行って、ここは君等の這入(はい)る所ではない、出給えと云って、二三度追い出したようだ。ところが教育のある君子