八 - 1
の事だから、こんな事でおとなしく聞く訳がない。追い出されればすぐ這入る。這入れば活溌なる歌をうたう。高声(こうせい)に談話をする。しかも君子の談話だから一風(いっぷう)違って、おめえだの知らねえのと云う。そんな言葉は御維新前(ごいっしんまえ)は折助(おりすけ)と雲助(くもすけ)と三助(さんすけ)の専門的知識に属していたそうだが、二十世紀になってから教育ある君子の学ぶ唯一の言語であるそうだ。一般から軽蔑(けいべつ)せられたる運動が、かくのごとく今日(こんにち)歓迎せらるるようになったのと同一の現象だと説明した人がある。主人はまた書斎から飛び出してこの君子流の言葉にもっとも堪能(かんのう)なる一人を捉(つら)まえて、なぜここへ這入るかと詰問したら、君子はたちまち「おめえ、知らねえ」の上品な言葉を忘れて「ここは学校の植物園かと思いました」とすこぶる下品な言葉で答えた。主人は将来を戒(いまし)めて放してやった。放してやるのは亀の子のようでおかしいが、実際彼は君子の袖(そで)を捉(とら)えて談判したのである。このくらいやかましく云ったらもうよかろうと主人は思っていたそうだ。ところが実際は女 氏(じょかし)の時代から予期と違うもので、主人はまた失敗した。今度は北側から邸内を横断して表門から抜ける、表門をがらりとあけるから御客かと思うと桐畠の方で笑う声がする。形勢はますます不穏である。教育の功果はいよいよ顕著になってくる。気の毒な主人はこいつは手に合わんと、それから書斎へ立て籠(こも)って、恭(うやうや)しく一書を落雲館校長に奉って、少々御取締をと哀願した。校長も鄭重(ていちょう)なる返書を主人に送って、垣をするから待ってくれと云った。しばらくすると二三人の職人が来て半日ばかりの間に主人の屋敷と、落雲館の境に、高さ三尺ばかりの四つ目垣が出来上がった。これでようよう安心だと主人は喜こんだ。主人は愚物である。このくらいの事で君子の挙動の変化する訳がない。